さわやかなほかべんさん作<溢れる想い>に寄せて
A Inside Fiction
 -【cologne】-
一、
駿平は運転席に座り、左肩にかかるたづなの頭の重さを感じていた。
視線は彼女の右腿の上でしっかりと握られた二人の手にずっと注がれたままだった。
たづなの視線がどこに向いているのかを判断する由も無かったが、時折わずかにその小さな頭が動くたびに、軽くしなやかな髪が頬をくすぐる。
駿平は、先ほど初めて交わしたの彼女とのくちづけを思い出しながら、ある瞬間ふとよぎる一つのイメージが、また少しずつ息を吹き返してきつつあるのを感じていた。
今はたづなのことだけを考えていたい。なにもかも忘れて、この時間この存在すべてを以って、彼女のいじらしいまでの気持ちに応えようと、つい先程決めたばかりではないか。
意識の中の霧を吹き払うために、空いていた右手をもう 一方の手に重ねようと動いた途端、たづなの体がこわばった。そして、
「駿平。」
「抱いてくれる?」
「こんな・・・あたしなんかでよかったらだけど。」
「やっぱり初めての人は・・・駿平以外考えられないの。」

「た、たづなちゃん。」

駿平は身内に沸き起こる感情の奔流を浴びながら、再びたづなの唇を奪っていた。

先刻のそれよりずっと長い触れ合いの後、駿平は顔を横にずらし、そして彼女の耳元に囁く。
「どこかに行こうか。」
かすかな衣擦れの音だけが、たづながうなずいた証だっ た。

その建物は、二十間道路から程無い場所、二人の紅潮した頬の色が冷め切ってしまうことの無い距離にあった。
駿平は、もう躊躇することも無くハンドルを切り、道道を外れる。
たづなは深くシートに身を沈め、ガレージの入り口が頭上を過ぎるのを、フロントガラス越しに見上げていた。



二、
人気の無いエントランス。車から降りたときは手を握り並んで歩いていた二人だったが、いつの間にかたづなは駿平の後ろについて、この場所に入ってきた。 ガレージからここまで、そして部屋を選ぶその手つき。たづなは、よどみの無い彼の動作の中に、ある事実を看てとった。
『・・・ここ、初めてじゃないんだ。』
恋人と呼べる女性が存在する以上、それは当然のことかもしれない。
彼女の心に、あの暑い夏の日の記憶と混沌とした感情が再び訪れそうになり、自分を必死でつなぎとめようと、前にいる駿平のジャケットの裾を強く握った。
『今しかないのに。 こんないやな自分のままじゃ、ヤだ。』
すがる思いで、振り返る駿平の顔を注視する。

しかし、こちらを向いた駿平の目を見た瞬間、固まりかけていた感情は一気に氷解した。
いつもと変わらない、いや、毎日拾い集めるたくさんの彼の表情の中からそれだけを選んで心の中に溜めてきた、自分に向けて欲しいといつも望んでいた、その表情がそこにあった。
目頭が熱くなり、顔を上げていられずに下を向くと、逡巡と思い違いをしたらしく、心配げに駿平が聞いた。
「大丈夫?」
多少慌てたような、どこか生真面目な、その言葉の調子がいかにも彼らしく、顔に浮かぶ笑みを隠すために、うつむいたま またづなは答えた。
「ありがと。」
その目から、ついに涙はこぼれなかった。
『後悔しないって、決めてたよね。』

二人は傍らのエレベーターに乗り込み、ドアが閉じるのも もどかしく、三たび、今度はたづなのほうから唇を求め抱擁を交わした。



三、
エレベーターの中で、ホールで、点滅する部屋の表示灯の下で、離れるつどになお溢れる想いが二人を突き動かし、求めさせる。
そして駿平はたづなの細い肩をきつく抱いたまま、その部屋の中に導いた。
背後で閉まるドアの音を合図にするかのように高揚が最高潮に達した駿平は、たづなの体を折れんばかりに抱きしめ唇を塞いだ。彼女も荒ぶる力に合わせるように、体をたわませ唇に、さらにその奥にまで感じる温もりを受け止めてい た。
ただ、そこに流れる血がどんなに熱かろうと、いまだ冬支度の装いが温もりの交換を妨げ、二人が触れ合うのはその唇でしかかなわない。
そのことが余計に、駿平の執着心を煽っているかのようだった。
そして、こんなときにもたづなの聡明で勝気な性向は意識の片隅で働いているらしく、ようやく訪れた息継ぎの合間 に身をよじり、やっとのことで言葉を発していた。
「しゅんぺ・・・コート・・・」

「服、しわになる・・・」

駿平は駿平で、あまりにも性急な自らの昂ぶりに対して冷 や水を浴びせられたように、顔をこわばらせた。
「あ、 うん、 そ、そうだね。」
出ばなをすかされ、踏鞴を踏んでしまう。日頃から、治すべき悪癖と自らを戒めてはいたのだが、力の抜けた腕からするりと逃れ、あちらを向いてコートのボタンをはずしはじめたたづなに掛けるべき言葉が見つからないままに、先程と変わらず早鐘を打つ鼓動が興奮によるものなのか、緊張によるものなのか、もはや区別も付かないほどうろたえ、動けないでいた。

緊張と言う点においては、たづなも同様であった。気丈に振舞っても、照度の低い灯りの下で、もともと良い方ではない視界はかすみ、揺れようとする体を支える足は先程から細かく震え続けている。
『眼鏡しとけばよかった』
うまく動かない指先と咽元から耳にかけての痺れに、軽い焦燥感を覚えながらたづなは思った。
程なく、なんとかボタンをはずし終え、駿平には背を向けたまま、横のソファにコートを置く。その足元には背後の間接照明にぼんやりと照らし出された彼の影が横たわり、振り返らずとも今の互いの距離を教えていた。

駿平は、まだその場で動けずにいた。



四、
「あんたも、脱いだら?」
たづなは、決してきつい口調にするつもりはなかったが、 かといって甘えた言い方などいまさら出来るはずもなく、 減退することのない緊張感に押されて出た声色は、不思議なことに渡会家で日頃から駿平に対して発せられる、それに似た、ちょっとつっけんどんなトーンだった。

だが、その偶然は、駿平に絡みついていた束縛の一部を解くのに十分な魔法となった。
「ご、ごめんっ。」
我ながら間抜けなせりふだと思いながら、なんとか自由が戻ってきた両手でジャケットのファスナーを下ろしにかか る。

しかし、めぐり合わせの悪さは駿平が生来持っているもの なのか。うまくやらなければと気負いこんでいるときほど襲ってくる間の悪さは、案の定ここでも発揮され、ファスナーは無情にも下に着ていたセーターを咬みこんでしまって いた。
『出掛けに奥さんにあんなこと言われたし、ひびきさんに 見られないように慌ててたから・・・』
ほつれかけたセーターをくわえて押しても引いても動かなくなったファスナーを呆然と見下ろしながら、舌打ちしたくても許されぬこのシーンで再び思考が麻痺しようとしたその時、白い手がジャケットの前身ごろを掴んだ。
「あ。」

「見せて。」
不意を衝かれて後ずさりしそうになった駿平の視界に、続いてたづなの頭頂部が入り込んできた。
「まったく。いつだって、こうだわね。」
黒く細い髪は上から見ると整然と放射状に広がり、まるで幼女のごとくいきいきとした光輪を頂いている。
「もう少しで・・・」
姉妹の中で一番きれいだな、といつも思っていたその髪は最近はずっと短く切られており、屈みがちな姿勢になる と、華奢なうなじを露出させるのだった。
駿平はすぐ間近にある彼女の体から、温もりと一緒にかすかな香りが湧き立ってくるのを鼻腔に感じた。
それは時間の経過のために消え入りそうに弱まってはいるが、おそらく今朝がた着けられたのであろうコロンの香りだった。

「とれた。」 「 ! 」
たづながファスナーから毛糸をはずすのと、駿平の片手が彼女の髪に触れるのとはほぼ同時だったろう。
たづなは反射的に一瞬身を引き、顔を上げた。
同じく反射的に、ようやく開かれた視界に視線を巡らせた駿平は、ブラウスの裾から白く伸びた素肌の足を認めていた。

ひりひりと痺れるほど血管が収縮した。



五、
たづなは、驚きの表情でそのまま止まってしまったように目を見張っ た駿平が自分の肌に注いでいる視線をどうにかそらそうと、再び後ろを向いた。よくよく考えれば、背後はより無防備であるものの、少なくとも、彼の顔をまともに見られなくなってきている今の心理状態を悟られるよりはいい、と思った。

粟立つ皮膚が次第に収まってくると、今度は熱いものが体の中を巡りはじめ、駿平はやっと口を開いた。
「たづなちゃん、オレ・・・。」
「もお、なに。 初めてのとき、見てるっしょ?」
あからさまに強がりを口にしながらも、彼女の全感覚は後ろに居る駿平の動静を探るために働いている。

駿平がはじめて見たたづなは、湯気のこもる渡会家の洗面所で、洗い髪をタオルで覆っただけの子供っぽい、痩せた胸の少女だった。
彼は、あの時から今日に至るまでの、彼女を変化を思い描いていた。
そして、その月日にいつの間にか育っていた彼女の愛情を無にしてしまった時のこと。脳裏に蘇ったあの涙の記憶が駿平を前に進めさせた。

やがてたづなの耳は駿平が、ジャケットを、セーターを、そしてジーンズを脱ぐためベルトに手を掛ける音を捉えていた。
動かせないでいる瞳から、前にある大振りなベッドのカバーやライト、何のためのものなのかたくさんのスイッチ類、などがぼんやりと滲んで意識に滑り込んでくる。

「あの・・・・ねぇ・・・・・・ ひゃっ!」

不意に両肩に触れた手の感触に驚き、半ば振り返りざま体はバランスを失っていた。

体制を立て直そうとしがみつくたづなの両手は駿平の背中に直に触れ、彼女自身の背中は駿平の片腕に支えら れて、ベッドの端に軟着陸していた。
最接近した二人の体から、立ち上る体温のみならず、発汗の気配さえも感じられるほど、研ぎ澄まされた時間が流れた。

「お、オレは・・・」
たづなは駿平の、もはや後退することのない意志を認め、 静かにまぶたを伏せた。
駿平もそれを受けて、まるで儀式のようにゆっくりと、たづなの上に沈んでいった。



六、
薄いブラウスの布地を介して、二人に熱いものが行き来 する。
たづなの唇はもう駿平の侵入を容易に受け入れるようになっていたが、それでもなお密接な位置を求めて、彼の右手は背中から腰に、そして脇をなぞって体の前へと移ってゆく。
突然強い羞恥心に襲われ、身をよじるたづなだったが、それよりも早く掌は左胸を包んでいた。
その下で高鳴る鼓動にかき乱され、咽がかすれた音をたてた。

駿平の指はしばし胸のふくらみに留まったあと、ボタンにかかり、それを はずし始める。彼女からの抵抗が無いのを認め、ゆっくり と慎重に。

ひびきは、彼にボタンをはずさせることをあまり好まなかっ た。顔を見られながら脱がされていくのが、こそばゆくて耐えられないというのだ。それでも正面から試みると、「あはは」と照れ笑いしながら身悶えて背中を向けてしまう。それはそれで可愛くもあると思うのだったが。

「経験」に乏しい駿平はこんなときにどんな顔をすればいいのか分からず、たづなが上気した顔をそらし、まぶたを閉じたままにしている体制を少しありがたく思っていた。

時間を掛けて最後のボタンをはずし終えた指は、ブラウスの肩口に差し込まれ、そのままするりと引き下ろされた。 小さな肩、なめらかに鎖骨を覆う皮膚、そしてまだ隠されている場所に続く曲面が目前にあらわになる。
駿平が、細い産毛のきらめきを伴ったその白さに驚嘆し ながら、顔を近づけゆっくりとキスをすると、たづなの吐息が止まった。

やがて彼女の意識は、胸元の唇が触れた部分から、今度 は背中の一点に集中する。
指の感触が肩甲骨の間を滑ったかと思ったわずかの後、 上半身をなにか心許ない感覚が走り、
彼女の乳房は解放されていた。

「あ」

まぶしさに気おされながら、そこに駿平がくちづけをすると、それまで止められていたたづなの呼吸は、小さな声を伴ってふたたび動き出し、次第に抑揚を大きくしていっ た。



七、
滑らかな隆起を、そして包み込まれるような窪みをなぞるたび、駿平の意識にたづなという一人の女が刻まれていった。
彼がその肉体を知る唯一の女性とは、はっきりと違う体の印象。
柔軟でははあるが弾むような弾力を内側に秘めたひびきの肌とは異なり、たづなのそれは更にもう一枚の柔らかな皮膜で覆われているかのように、指先や舌に抵抗を与えている。
また、小さな突起を口に含むたびに反応する筋肉の動きも、その強さも。
『声も違うんだ・・・』

ある種の感動は駿平の昂ぶりを明らかに増幅させており、その自覚が彼をやや焦らせ始めていた。
少しの躊躇の後、駿平はたづなに向けて自分が成した行為の結果を知るために、彼女が最後にたった一枚まとった着衣の頂点をおずおずと探った。
そして指先がそこに触れたとき、たづなの体は深いカーブを描き屈曲した。

やがて意を決した駿平の手がその布にかかり、取り去るまでの間、たづなの両腕は駿平の首を抱きかかえていたため、その表情を垣間見ることは叶わなかった。
しかし、そのしぐさに愛おしさがこみ上げ、駿平も両腕を彼女の体に回して引き寄せた。
もう既に、二人の体を隔てるものはなにもなくなっていた。

顔を見せないたづなに、駿平が囁いた。
「こわいの?・・・」
返事をするでもないままに、たづなはじっと動かない。
「いや?・・・」
今度は、彼女の首が小さく横に振られた。

ややあって、駿平はたづなの小さな声を聞いた。
「好き?」

「好きだよ。」 『(これだけは、ウソじゃない。)』
駿平の腕はより強くたづなを抱き寄せた。



八、
深い抱擁による密着感のために、駿平の臨界点は更に近くに迫っていた。
おそらく、今このまま力を加えれば、意図通りにたづなを押し開き思いを遂げることも可能かもしれなという考えもよぎったが、それが許される立場にないことは、経験的にも自明の駿平だった。

たづなにとっても、その時が近づいていることを強く意識せざるを得ない。ここに来て起こったことすべてが体験したことの無いものだったにもかかわらず、既に彼女の体はその意味を理解し、駿平を受け入れることを容認しており、彼そのものも先程からその存在を強く主張し続けていたからだ。

不安の中、出来るならこの甘美な抱擁が続いてくれればと願うたづなだったが、その意を押しのけるように駿平が勢い込んで体を起こした。
「ごめん」
二人の胸と胸の間に空間が入り込んだ瞬間、たづなは今まで味わったことの無い切なさに苛まれた。
『どうしたの』 訴えは声にならず、離れる彼を追って、両腕が宙を泳ぐ。
半身を起こして自分を見下ろしている駿平の表情もどこかしら切なげな笑みを浮かべているように思われたが、真意を測る事も出来ぬままだった。
駿平の視線が枕元の方に移り、伸ばされた手が何かを取り上げた。
ちいさな四角く折られた紙のパッケージ。
『!』
ようやく理解できた事柄の内容と、むこうを向いてその「作業」に取り掛かった駿平の背中、そして裸のまま横たわっている自分の姿。現在の状況が一気に頭に流れ込み、驚くほどの勢いで顔が上気した。今までの不安感に加わった羞恥心のため、まるで縮まってしまいそうになりながら、たづなは両手で顔を覆った。

『落ち着けよ』
今どんな顔をしているのかさえ覚束ないほどの緊張感の中、その作業を終えた駿平は自分にそう言い聞かせながら、少々ぎこちない姿勢でたづなに向き直った。

駿平はそこで、初めてたづなの全容が見下ろせることに気がついた。彼女は今自らの手のひらで視界を遮断している。そのことが駿平の気の弱さという枷をはずし、後ろめたさという鱗粉をちりばめて白い蛍光を放つかのようなその肢体を、凝視させていた。

「駿平・・・?」
名前を呼ばれて気がつくと、指の間から覗くたづなのまなざしがそこにあった。
「あ、 その、 見惚れて、て・・・ 」
その黒い瞳に捕らえて、我知らず駿平はぐいぐいと引き寄せられていく感覚に襲われる。
「もお、やぁ!」
たづなは小さく叫びながら再び瞳を隠そうとする。
それに追いすがるかのように、駿平はついに最後の堰を彼女に向けて解き放った。



九、
あっけない記憶。

その行為自体は、そんな言葉で表せるのかもしれない。
たづなは、そう思い返していた。

ひたと体を合わせながらも、更に深い部分を目指して分け入ってくる駿平の膝。
自己防衛の本能なのか、力を抜くことが出来ないままでいる両足の間に、それは割り込んでくる。
掌でも、唇でも、触れることを許しているはずの体が、いうことを聞かずに、拒否している。
駿平がその時どんな表情をしていたのかは、よく覚えていない。
きっと、堅く目を閉じていたからだろう。
その時、ふっ、と駿平の力が抜けた。
せっかく苦労して入ってきた膝頭も抜かれてしまった。
目を開いてみると、真顔の駿平がすぐ近くで自分を見ていた。
なんて言えばいいのだろう。あやまるべきなのか。
何でもいいからなにか、と、口を開こうとした瞬間、駿平が笑った。
声を出さずに、静かな顔で。 
それはまるで・・・・・
『子供あつかいしないでよ』
と、抗議しようとした口を、彼の唇が塞いだ。
それは先刻までのような激しいものではなく、最初のそれと同じ、軽いキスだった。
両手で頬に触れられ、2度、3度と繰り返されるキスが、唇の凹凸をなぞりながら、顎から首筋、鎖骨へと移動する。
それと一緒に、彼の手も肩から胸にゆっくり下りてきた。
次第に体が開かれていくのがわかる。
両腿の内側に差し入れられたその手が片足を浮かせるように促すと、さっきとは打って変わって抵抗無く言うことを聞くのが不思議で、なんだか滑稽にも感じられた。
そうやって開かれた場所に今度はすんなりと体を滑り込ませた駿平が、自分を、見ている。

そして、入ってきた。



十、
間断の無い痛みと、揺さぶられる感覚が、具体的な思い出ということになるのか。
「お話みたいにロマンチックでないわね。」
髪を濡らさぬよう注意してシャワーを浴びながら、たづなはひとりごちた。

『(でも、友達の話で聞いたみたいに、ずっと長く続かなくてよかったな)』
いまだにそこには鈍い痛みを伴った違和感があったものの、失ったことへの悲壮な感情はなかった。

バスタオルで体を拭きながら、洗面台の大きな鏡の前に立ってみる。
そこに映っているのは、もう中学生だったあの時の自分ではなく、大人の女性としての印も刻まれた自分なのだ。
などと思い、『どうだ。』 と胸を張ってみたが、おかしくなってクククと体をかがめて笑った。

そしてもう一度鏡に向き直り、バッグから取り出したコロンを手に取り、体にはたいた。

部屋に戻ると、既に服を着た駿平が固い顔をして待っていた。
彼はたづなに歩み寄ると、やおら高いトーンで話し始めた。
「た、たづなちゃん。おれ、これからどうしていこうか考えて。その、たづなちゃんの気持ちが、、、、、」

「あたしの気持ち? もちろん本気だったんだよ。 駿平しかいなかったんだよ。 忘れないでよね。」

「その、おれには、ひ・・・・・・がいて。 でも、たづなちゃんのことも真剣に思って・・・、それはホントで!」

「ばか」

「あの・・・」

「あんたがひびきちゃんに本気なのは、言われなくてもよく知ってる。それはもう、いいんだ。」
「それに、あたしにも本気になってくれたって、わかったから、いい。」
「駿平さっき・・・、その・・・、終わるとき、何回もあたしの名前、呼んでくれたでしょ。」
「だから、わかった。」

「・・・ありがとう、駿平。」
「あたし・・・一生今日のこと忘れないから。」

「たづなちゃん」
抱きしめようとする駿平だったが、両手を彼の眼前に翳してそれを制し、たづなは言った。
「コロン付けたから、駄目だよ。香り移っちゃうっしょ。」
人差し指を立てて、たしなめるような仕草は、いつもとかわらぬ彼女のように駿平には思えた。
「さ、もう行かないとね。今日は卒業式のお祝いだわ。」


二人を乗せてゲートを出た車は、再び道道へ出て二十間道路にさしかかっていた。

「ずっと覚えとく。」
雪の中立ち並ぶ桜並木を見ながら、たづなは小さく呟いた。




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